第三章

 適当な刃物で顔を傷つける。ワザとらしく血痕を残して。
 そして立ち去る俺。此処に戻るのは、多分ないだろうな。
 また今度機会があれば並だな。…嫌いじゃなかったんだけどな。
 ある一点を除けば、此処の生活も。
 あいつ、なんて思うかな。それ以上に傷がズキズキする。
「さて、何処に行こう」
 公園、路地裏。
 凍死しない程度の場所に行かないと。
 あと、飯が食える程度の場所。
 …っと、傷が深すぎたかな。足が、ふらつく。
 あいつの名前、なんだっけ。確か…。
 いや、思い出せない。…どうでも、いいか。
 不意に倒れる。限界、か?
 ゆっくりと目を閉じれば、あいつの顔が見えてきそうで。
 この世界で、俺を知っているやつは、あいつ以外に誰がいるのかな…。
 あははっ、やべぇ…。本当に、意識が…。
 ざわめく人込み。どよめく人々。
「…バーカっ……」
 空に向かってそう言って。手を伸ばしてなにも掴めなくて。
 死ぬのなら、それでもいい。
 痛いのは、いやだったけどさ。

 …助ケテ。

 これは多分、夢の中。
 泣いていた。俺は、子供だった。
 母親が居て、父親が居て。そして、もうひとり。
 あれ?誰だっけ…。
 見覚えがある。こいつは、たしか…。
 やっぱり思い出せない。
 思い出したくて、思い出せなくて。
 むず痒くて泣きたくて。
 手を伸ばしても届かない。
 両親は笑顔でいるのに、あいつは辛そうな顔で…。
 走っても、走っても追いつけない。
 気がつけば、あいつだけを追いかけていた。
 それでも、追いつけない。
 空はただ、月と星が暗闇に浮かんでいた。
 あいつは、誰なんだろう。

+++

 気がつけばベッドの中。ズキズキと痛む傷口。なんだ、生きてるのか。
 体を起こそうとするが、面倒になって止めた。…此処は何処なんだろう。
 通りがかりのいい人が、救急車でも呼んでくれたのかな。
 ま、どの道此処は病院か。入院する金なんてないし。早く出て行かないと。
 幸いにも今は夜。病院は消灯の時間を過ぎている。大して誰もいないんだろう。
 寝転んだまま、ベッドの脇に下りる。
「貧血か…。くらくらする」
 少々ふらつきながらも、部屋の出口まで行きドアノブに手をかける。
 そういや、なんで個室なんだ…?高そうだな。値段とか。
「何処に行くつもりだ」
 聞き覚えのある声。不意に抱き締められて。
「あれ、ご主人様。どうしてこんな所に居るんです…?」
 こいつがいることに、大して驚きはしなかった。
 でも、もしかして、こいつが救急車呼んだのか?俺を追いかけて?
 本当に、どうして此処に居るんだよ。相当の物好きだろ。
 あんた、そんなんじゃ女とも上手くいかないぜ。
「知らないだろうが、お前は正式に養子として戸籍に入れてある。私はお前の保護者だ」
「へー、じゃあお父さんとでも呼べばいいんですか?」
「そんなことお前に求めてない」
 だろうね。呼ばれたかったのなら、もっと早くに教えてたんだろうしさ。
「あ、どうです?この顔の傷。貴方の好きな顔に傷を入れてみたんですけど」
 ――パンッ
 殴るのはまだわかる。平手かよ。
 気に入らなかったんだな。落胆は、してんのかしてないのかよくわからない。
「そんなに私が嫌いか」
「そんなに俺の体が好きですか」
 其処まで熱くなって。なに考えてるんだよあんたは。
「真面目に答えろ」
「別に、嫌いじゃありませんよ。でも、特別好きと言う訳でもないんです。ご主人様」
 それだけなんだよ。それだけ。
 それなのに、なんであんたはそんな顔するんだよ。わかんないっての。
 だって、他人だろ。俺を可愛がって、あんたになんの得があるんだよ。
 それに、あんた結婚すんだろ?なら、俺は邪魔者以外のなんでもねぇじゃん。
「可愛がってくれてありがとうよ。恩を仇で返すって訳じゃないけど、俺はあんたの元から消えるよ」
「何処をどうやったらその結論にいくんだ…」
「簡単だろ。俺があんたの元に居ても、あんたに得があると思えない」
「顔の傷は」
「興味本意。あんたが好きなこの顔に、傷でもつけたらあんたはどうするのかって」
 そんだけさ。本当に、あんたはこんな俺の何処を気に入ったんだよ。
 首輪つけて鎖に繋いで。そんなに手元に置いときたいって言うようなタイプじゃないだろ。
「拓也…。……」
 再び抱き締められて、なんなんだよ、この人は。
 そういや、あの夢…。
「なぁ、あんたさ。昔、俺に逢ったことある?母親が生きてた頃」
「っ…」
「あるんだ。へー、だから俺を拾ったの」
「どうして、それを…」
「夢見て、あんたがさ両親と一緒に出てきたからさ」
「…そう、か」
 なぁ、あんたはなにがしたいんだ?こんな俺の何処がいいんだ。
 俺が馬鹿なのか、あんたが馬鹿なのか。答えろよ。誰でも良いから。

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